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東海産廃処分場差し止め裁判 |
■闘いのはじまり
東海村の須和間地区に民間の産業廃棄物焼却施設が建設されるという計画が最初に明らかとなったのは2003(平成15)年のことでした。
計画地は民家に隣接し、周辺の高台には団地が、その反対側には水田が広がっています。
お米だけでなく、干しイモやブドウ、梨などの農産物も豊富です。
計画では動物性残渣、感染性廃棄物(医療廃棄物など)を含む8品目の産業廃棄物を破砕、焼却するというもので、排ガスに含まれるダイオキシン類や施設からの排水などによる重大な環境汚染や周辺住民の健康被害が危惧されました。
計画地周辺の川根、緑ヶ丘、押延、須和間といった各行政区や、水田への用水路を管理する真崎浦土地改良区が早々に反対の意思を表明しました。
茨城県は2005(平成17)年に一度は不許可としましたが、業者は再度申請書を提出しました。
その業者の動きに対して、東海村議会は全会一致で反対決議を可決、東海村も反対の意思を表明するに至りました。
これら地元の強い反対の動きに対して、茨城県も許可申請に対する結論を出せないでいたものの、2007(平成19)年2月、業者が県が結論を出さないのは違法であるとの訴訟を提起するや、県はあわててその年の6月27日に業者の申請を許可する決定を出してしまいました。
その間、村主催の学習会などで知識を深めてきた住民は、2007(平成19)年8月4日に焼却施設建設に反対する住民の会を結成。
同年12月19日には茨城県を被告として設置許可の取消を求める行政訴訟を提起、法廷闘争を開始しました。
当事務所も弁護団の中心となって活動を開始しました。
■困難が続く法廷闘争
行政訴訟の提起に引き続き、翌2008(平成20)年3月5日には人格権に基づいて事業者に対して建設の差し止めを求める仮処分申請を行いました。
東海村の住民を中心に、行政訴訟の原告数は442名、仮処分は464名が申立人となりました。
焼却施設建設反対は東海村の強い世論となって、大きな広がりを示したのです。
私たちは、その力を背景に、梶山正三氏、鷹取敦氏、三好康彦氏など専門家の協力を得て法廷活動を展開しました。
裁判官が現地を訪れる現地進行協議も実施しました。
仮処分事件の結審を受け、2011(平成23)年8月25日には建設差し止めの本訴を提起し、闘いの舞台を広げていきました。
しかし、残念なことに、裁判所は県や事業者の主張を鵜呑みにし、住民側の主張を受け入れようとしませんでした。
仮処分は2011(平成23)年10月12日に住民側の申立を却ける棄却決定が、行政訴訟は2013(平成25)3月1日住民敗訴の判決が、水戸地裁で出されました。
いずれも東京高裁に不服申立を行いましたが、仮処分は2014(平成26)年7月22日に抗告棄却、行政訴訟控訴審では同年9月25日に控訴棄却の判決が出されました。
最後に残った差止本訴も2016(平成28)年9月30日に水戸地裁で住民敗訴の判断が下され、東京高裁に控訴しました。
■差止本訴控訴審の闘い
私たちは一貫して、計画されている焼却炉は、ダイオキシン対策として要求されている未燃ガスを800℃以上の温度に保ちつつ2秒以上滞留させる空間が確保されていないとの主張を行ってきました。
差止本訴の控訴審でも新たな証拠を入手してその主張を補強しました。
さらに、差止本訴の控訴審では、これまでにない新たな状況が明らかになってきました。
それは、最初の計画が判明してから15年、最初に行政訴訟を提起してから数えても11年あまりという長い期間が経過していることから生まれてきた状況であるということができます。
すなわち、事業者には焼却施設を建設し、適正に運営していくための経理的基礎がないということです。
当初は金融機関からの融資かあるいは東京の投資家から資金を集めると主張していた代表取締役が退任し、現在は別の代表取締役が就任していますが、会社には何の実態もなく、決算書も組んでいない状況にあること、金融機関から融資を受けるとは主張しながらも、その裏付けを何も示さないこと、金融機関からの融資が受けられない場合に資金を提供してくれると主張する会社もその決算書からはおよそそのような資力があるとは思えないことなど、その経理的基礎に疑問を抱かせる事実が明らかになったのです。
法律的には何の障害もないにもかかわらず、現地で焼却炉建設工事が全く着手されていないという事実も、事業者には経理的基礎がないことを如実に示しているといえるでしょう。
■そして勝利へ
2019(平成31)年2月27日、東京高裁は、住民側敗訴の原審判決を覆し、住民側の請求を認め、事業者に対し建設の差し止めを命ずる判決を言い渡しました。
11年間訴訟を闘い続け、初めて手にした勝利でした。裁判所は、経理的基礎がないことに加え、会社の経営体制の変更により、当初主張していたような技術的な支援が受けられなくなっていることも理由としました。
業者は上告しましたが最高裁はこれを認めず、私たちの勝利が確定したのです。
何度敗訴しても決して諦めることなく、粘り強く闘い抜いた原告団の頑張りが勝利の一番の要因であったことは間違いありません。
長く厳しい闘いでしたが、最後に「子や孫の世代に美しい自然や住みやすい環境を残したい。」という住民の想いを実現することができ、本当によかったと思います。
(弁護士 安江 祐)
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