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神栖市有機ヒ素汚染事件 |
■神栖ヒ素事件とは
神栖ヒ素事件は、2012年5月11日に公害等調整委員会(総務省所管、独立行政委員会。以下「公調委」といいます)の裁定結果が出、それを受けて和解等で解決しました。
本件は、茨城県神栖市内に居住する申請人ら34名及び参加人ら5名(以下「申請人ら」といいます)が、旧日本軍が製造していた毒ガス兵器の一種である、
いわゆる「アカ剤」に利用された「ジフェニルアルシン化合物」(以下「ジ化合物」といいます。)が混入した井戸水を経口摂取して健康被害を受けたという事件です。
(2003年3月発覚。ただし、1名だけは農業被害)。
特に年少時に、ジ化合物を井戸水から経口摂取した申請人らは、広汎性発達障害に類似する知的障害、学習障害や脳性運動障害、
てんかんの症状が継続しており、深刻な状況でした。
■公調委での責任裁定手続
申請人らは、2006年7月24日、国と茨城県を相手に公調委に対し、責任裁定の申立を行いました。あえて裁判でなく公調委の責任裁定を選択したのは、民事訴訟に比べ、
(1)専門的知見を活用できる
(2)職権での機動的な資料収集・調査を行うことができる
(3)費用が安い
などの特長を考慮して迅速な解決が期待できると考えたものです。また、将来への不安を払拭するために被害者の救済制度を作ることも必要と考えられたので、
その制度のための協議をする土俵としても行政機関である公調委の方がなじむのではないかと考えたこともありました。
申立の内容は、国に対しては、ジ化合物が極めて特殊で、旧日本軍由来の物質であることから、
国は外部に流出しないようにすべき高度の保管義務を負っていたにもかかわらずこれを怠ったことを理由に損害賠償請求をしました。
また、茨城県に対しては、本件発覚(2003年3月)の4年前である1999年1月に、問題となった井戸からわずか500m離れた所にあった別の井戸から0.45mg/l
(水質基準値の約45倍)のヒ素が検出されたことを把握していながら、その周辺7ヶ所の井戸水を調査しただけに止めその後の調査を打ち切ったこと、
また、周辺住民への周知を怠ったことを理由に損害賠償の請求をしたものです。
■公調委での審理
審理上特に苦労したところは、まず、これまでジ化合物の経口摂取による健康被害の症例がなかったことでした。
弁護団は森永ヒ素ミルク事件の教訓を生かし、ジ化合物による症状でないことが明確である場合を除き、すべてジ化合物を原因とする症状(免疫力低下による症状悪化も含む)であると推定すべきだと主張しました。
次に、国の管理下からジ化合物が不法投棄されるまでの経緯が不明であったことから、国の加害行為の特定が困難であったことでした。
この点、弁護団は、昭和50年の最高裁判決で「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、
経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、
その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りる」との考え方を援用しましたが、
裁定では、「製造・流通経過を全く明らかにすることができず、そのため…国が、いつ、いかなる管理義務を負い、
どのようにその義務に違反したのかを具体的に特定することができない」と判断し、国の責任を否定しました。)
■政策形成を求める責任裁定外における活動
国は、2003年6月、閣議了解で、被害者のために医療手帳を給付し自己負担分を交付負担するなどの援助措置を行ってきました。
しかし、この措置事業は、3年ごとに見直しをすることになっていたので、弁護団は環境省に対し働きかけを行い、事実上この制度の継続を勝ち取ってきました。
2011年6月23日の改正では、15歳未満で被毒した子どもに対し、調査協力金として月5万円の支給が行われ、また、ジ化合物が原因でないことが明らかな症状を除いてすべて医療給付されること、健康不安の解消を達成するまでは制度が継続することなどが確認されました。
■裁定結果
県に対する請求は、当時、まだ出生していなかった2名を除いた全員に対して認められました。
県が原因究明のための十分な井戸水調査を行わなかったこと、
周辺住民に周知させる権限を行使しなかったことにより被害を生じさせた法的責任を認めたものです。
なお損害額は、各申請人ごとにその症状の重さによって異なるものとなっています。
国に対する請求は残念ながら棄却されましたが、国は「アカ剤」の製造を主体的に行っていた者として、一定の管理責任を負うものであるという判断がされました。
この点、最近アスベスト、イレッサなどの問題で、規制権限を行使しなかったことについてその責任を認めることは司法が行政に規制を促すことになってしまうので避けるべきという
極端な行政追随の判断がなされてきているなかで、本件は貴重な勝利ということができると思います。
また、今回の裁定は、健康被害につき公共団体に責任を認めた初めてのケースであるということも画期的な意義がありました。
■裁定後の和解協議
公調委での手続の根拠になっている公害紛争処理法によれば、責任裁定があった場合において、30日以内に裁判が起こされないときは、その損害賠償に関し当事者間に同一の内容の合意が成立したものとみなすとされていました。
すなわち、申請人らが裁定に不服の場合は、30日以内に提訴するかどうかを判断しなければなりません。
また、提訴しないで裁定内容を基礎に解決を図ろうとする場合は、茨城県に提訴しないように働きかけ話し合い解決を説得しなればなりませんでした。
さらに国に対しても請求人らが提訴しなければ、国に和解の話し合いに入るように働きかけなければならないという困難が待ちかまえていたのです。
弁護団は請求人らに対して裁定内容の説明会を開きました。
その中で請求人らは裁定については一定の評価をした上で、茨城県に対して認容された金額が低過ぎること、国の責任を認めなかったことに不満を持ちながら、申立てから6年という年月が経過し、今後さらに提訴をするという気力がないなどの声が出されました。
その結果、茨城県に対しては提訴をしないで、請求額の上乗せを要求すること、国に対しては現在暫定措置として行われている緊急措置事業を拡充した上で恒久化させるような合意を目指すことになりました。
ただ、話し合いがうまく行かなければ、ぎりぎりのところで提訴も考えるともされました。
2012年5月17日、請求人代表と弁護団で茨城県に対して提訴しないようにとの要請を行い、それを受けた形で、5月28日には茨城県知事から、請求人らの気持ちは十分理解できるとの表明がありました。
この間、弁護団は、自民党や民主党の県議や地元選出の国会議員らに協力要請を行い、また県の代理人弁護士と話し合いを行いました。
その後も何度か交渉を重ね、茨城県との間で、裁定での認容額に上乗せすること、茨城県は国に対して緊急措置事業を継続するように働きかけをすること、茨城県も現行制度の運用が実効性を持つように相談体制を整えるようにすることなどで大筋の合意ができ、6月5日にその内容での覚書を取り交わすことができました。
このように茨城県に対しては裁定を梃子にして、成果を得ることができました。
しかし、国に対しては、弁護団で環境省の担当者と面談をして恒久的制度の確約などを申し入れたりしましたが、国の姿勢は硬く、
6月11日の提訴期限が迫りました。
請求人らはこれ以上裁判を行っていく精神的、肉体的余裕はないということで、新たな事実が明らかになれば今後も国に対する提訴もあり得るとした上で、
残念ながら国に対する提訴は見送ることにしました。
■和解成立
6月15日、和解案が県議会の本会議で可決され、20日正式に和解書の調印が行われました。
7月4日には請求人代表が茨城県知事に面談して、今後の県の支援の確認と国に対して制度拡充のために一緒に要請を行っていくことを申し入れ、知事も誠意をもって答える旨を表明しました。
このやり取りはテレビでも広く報道されました。
それを受けて、7月13日、請求人代表、弁護団、茨城県知事、茨城県代理人弁護士などが一緒になって、環境大臣、環境副大臣と面会し、緊急措置事業とされている事業を継続することなど申し入れ、大臣からは、健康不安の解消という必要性がある限り事業を継続する旨の回答を得ました。
■終わりに
このように、長年にわたる審理を重ねた公調委での裁定は満足のいく勝利とはいかず、請求人らの気持ちも不満を残したものになりましたが、それを梃子として茨城県に理解を求め、損害賠償額の上乗せだけでなく今後の支援等を約束させたことは誇れる成果だと思います。
しかも、茨城県知事が請求人らと一緒に国に対して要請を行ったということは、今後も本件による苦しみ、不安が続く請求人らからすれば、安心を得ることができ大いに評価できると考えます。
このような事件に代理人として関われたことは私にとっても貴重な経験となりました。
(弁護士 五來 則男)
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